日本実験動物技術者協会 関西支部

Japanese Association for Experimental Animal Technologists Kansai-Branch
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第3回アジア実験動物学会参加報告


支部交流担当:坂本 雄二  

第3回アジア実験動物学会(The 3rd AFLAS Congress in Beijing)に参加し、『日本における実験動物技術者養成と、その資格認定(邦題)』を発表し、実技協の活動の紹介などを行った。 本報では、その概要を報告する。

 私がAFLAS北京大会にて、実技協を代表するような形で、日本の実験動物技術者の事を紹介するに至った経緯を少し記しておきたい。本報の前に作成した『The 3rd AFLAS Congress in Beijing報告の詳細・・・その前に!』と題したレポートの最後の方にも記載したが、昨年4月に来日されていた中国医科大学の王教授が別れ際に『我々は仙台での日本実験動物科学技術2008には参加できないが、仙台には中国実験動物学会を代表して中国医学科学院実験動物研究所の秦川教授が参加するからよろしく!』という言葉を残して帰国された。そして、その通りに仙台の日本実験動物科学技術2008には秦川教授が参加された。懇親会の冒頭で壇上にて流暢な日本語で挨拶し、四川の大地震の事を話された事を記憶されている方も多いと思う。秦川教授は、苗字が“秦”(日本語的には“シン”)、名が“川”(日本語的には“セン”)と記す。英語表記的には“Qin Chuan"となる、中国実験動物学会の副理事長でもある彩色兼備の女性である。仙台で再会した秦先生は、昨年の大連での中国北方八省科技年会において、参加者を前に威風堂々の貫禄で挨拶をされた時のような近寄りがたい厳粛さはなく、気さくな秦先生の姿となっていた。とてもユーモアがあり、冗談も交えながら話をして下さり、私のこれまでの中国訪問や交流を通して抱いていた幾つかの質問事項にも丁寧に回答をしてくれた。この友好ムードで仙台終了後も、メール等でやり取りをさせて頂く中で、再度私は日本には実験動物技術者の団体があるという事、そして私自身が所属する関西支部の活動状態を紹介していった。その過程の中で私は、もし秦先生が日本に再度来られるような事があれば、関西支部にて中国の実験動物業界の事を紹介する講演をして欲しいという趣旨の事をメッセージとして発信していた。そして何度目かのメールのやり取りの時に、秦先生から『AFLAS北京大会の中で、日本の実験動物技術者の事を紹介するプレゼンをしませんか!』という誘いを受けた。これが、私がAFLAS北京大会に参加する事になったきっかけである。

 さて、ご存知のようにAFLASにおける日本での正式加盟団体は(社)日本実験動物学会(JALAS)である。AFLAS北京大会においても、日本からの演題申込は東北大学の笠井教授が窓口となって申込を受け付けていた。今回の私の発表は本来の演題申込の流れからは少々逸脱した形となっている為、JALAS理事長である京都大学・芹川教授、AFLAS副会長である東北大学・笠井教授、そしてJALAS海外交流委員である大阪大学の黒澤准教授らに事の経緯を説明させて頂いた上で、プレゼンをする事に対してご理解を求めたところ、準備が大変ですが頑張ってくださいという趣旨の言葉と共に理解を示して下さった。

 JALAS,AFLASの首脳陣より、発表に対してのご理解を頂いた所で、実技協本部へも本件を報告し、小原理事長を始めとする3役の皆様にも発表の許可を頂くと同時に、本部で保有する種々の情報等データも活用しながらプレゼンの為のスライドを作成する事になった。本番まで約1ヶ月という段階での発表決定であったので慌てふためいての準備となったが、何とか準備が整い北京へ出発となった。

 成田空港、関西空港、福岡空港等、日本各地の空港から参加者の皆さんが北京へ向けて出発した。比較的到着時刻が接近していた事と、当初のアナウンスでは日本からの参加者は全員が揃った段階で1台の日本参加者団専用バスで会場へ移動という事を聞いていたのだが、実際には各国からの参加者の相乗りの設定となっており、かつ、大型バス1台が満席となるまでは、先に到着した人達は空港で待機という事になった。我々は空港で2時間以上も待機する事になったが、この時間を使って今回の日本からの参加者相互のコミュニケーションを深める事が出来た。会場となる中国信安第一城は、 AFLAS開催案内のパンフレットなどの写真から、歴史の有る建物を会場としているのだろうと勝手に想像していたが、到着してみれば、歴史的建造物を模したスタイルの巨大コンベンション施設であった。到着は夜であったので分からなかったが、一夜明けてみれば、施設の周囲は一面のトウモロコシ畑であった。北京市内中心部へは車でも約1時間は要する立地で、ポジティブに理解すれば無用な誘惑とは断絶されて学会に集中できる環境といえる。

 さて、大会本番である。メインホールの中の座席には参加各国毎に着席位置が基本的には定められており、後の開会式の進行の中でも参加各国が順次紹介され立ち上がったり、手を振ったりしてそれぞれ存在をアピールしていた。本大会の参加者は最終的には600名を越える人数となり、ホスト国である中国側としても予想よりも多い参加者であったようである。その中でも韓国は約100名という参加人数であり、日本は約60名であった。一方でフィリピンやベトナムなど10名に満たない国もあるが、参加人数の大小がAFLASへのモチベーションの程度を反映しているという事はなく、彼らも活発にディスカッションに参加していた。

  開会は秦川教授の発声で幕をあけた。中国語での発声なので具体的には何を言っているのか分からないが、『只今より、第3回アジア実験動物学会を開催します!』というような意味の事を述べられたのだと思う。極普通の開会のように見えるが、私自身には中国というお国柄の中で、アカデミックな国際学会の開会にあたって、女性の大会長が国を代表する形での開会の発声というのは、一つの新しい時代の幕開けとも感じられた。秦川教授の開会の発声に続いてプログラムは順次進行してゆく。今回のAFLASは中国実験動物学会との共催になっており、中国実験動物学の発展に貢献されてきた先人の方々が「中国実験動物学会貢献賞」として表彰を受けていた。この受賞者の中に中国医科大学の王太一教授も含まれており、お酒だけに強い方ではなかったということを改めて認識させられた(笑)。中国の要人の表彰に続いては、JAICAの活動の中で中国の実験動物学の発展に向けた指導に尽力された、日本の功労者の方々も同じく「中国実験動物学会貢献賞」の授与が行われた。藤原公策先生(元東京大学)、山之内考尚先生(元大阪大学)、前島一淑先生(元慶応大学)、佐藤善一氏(元 (株)アニマルケア顧問)が表彰された。惜しまれるのは、この4名の功労者の内、御存命であられたのは前島先生只お一人であったという事。藤原先生は奥様が、佐藤氏は息子さんが代理で出席・受賞され、山之内先生は奥様のご都合がどうしてもつかず欠席であった(後に12月に奥様と娘さんが秦川教授より北京に招かれ、改めて功労に対してのお礼の場が持たれた。如何に秦川教授らがご恩を感じておられるかが良く分かる)。前島先生におかれては受賞の喜びは勿論あるのだが、共に苦労を分かち合った他の3名の先生方と一緒に受賞できなかった寂しさが合わさっていたようで少し肩を落とされていたのが印象的であった。中国もかつての中国とは違い、以前とは比べ物にならないほどに海外に向けて扉を開き始めている。現代は、実験動物に対しての指導を行うにも器具器材、資料作成などに用いる各種ツール、そして連絡などの通信手段etc,と格段に発達している。このような現代ではなく、文化も、道具も、お互いの相互連絡などのやり取りに苦労するような環境の中で、自身の私利私欲を断ち、ひた向きに指導にあたられて来たこの4名の功労者の先生方ならびにその他の日本の貢献者の方々に、素直に敬意を表したいと思う。そして、その志はしっかりと引継いでゆかなくてはならないと思う。

 全体の式典の後は、サブ会場も使っての各セッションとポスター発表が行われた。日本からの参加者にもポスター発表のエントリーをしている人が何名もいるのだが、彼らのポスターを見ようとポスター会場に行って少々驚いた。日本の学会では(北米・欧州でも)ポスター会場というと、どの演題のポスターはどの場所に掲示してというように、場所・順序が定まっているのだが、今回の大会では場所・順序に対しての取り決めがなく、誰でも好きな場所に掲示してよしとなっていて、戸惑った人も相応にいた。

 日本からの参加者の中にはポスター発表だけでなくご自身の研究成果等を口頭発表された方も居られた。大阪大学の黒澤努先生は日本実験動物学会の活動を紹介するプレゼンをされたが、このプレゼンの中で非常に光栄であったのが、日本実験動物技術者協会の事にも触れて話され、『彼らはとても活発な活動をしている』と紹介してくださったことである。その翌日にプレゼンを控えている私としては、まるで発表の前振りをして頂いているようで心強かった。

 さて、私の発表であるが、大会2日目の午前のプログラムの最後であった。お昼前でお腹も空いている時間帯であるという事、技術者の話題である事などから、あまり参加者の関心はなく、閑散とした会場の中で質問もなく終ってしまうのであろうと弱気になっていたら、会場内には約半分の聴衆がいる中での発表スタートとなった。いわゆる会議体という意味では英語の会議にも参加した事はあったが、公式な学会のセッションにおいて英語で口頭発表をするのは初めてであり緊張の極みであったが、何とか発表を終えた。質問も『講習会などのトレーニングは毎年受ける事が義務付けられているのか?』、『高校を卒業した人が二級技術者の資格を受験するには実務経験が何年か必要なのか?』といった質問が出され、関心が相応にある事が分かった。質問が聞き取り難く(言い訳です・笑・)、間違った理解で違う回答をしてしまった事もあったが、何とか私の今回の参加での最大の役目は終える事が出来た。心強かったのは、私のプレゼンは始まる直前になると、別の会場にいた日本の参加者の方々も会場に駆けつけてくれて応援をして下さった事である。その中には普段は技術者協会のフィールドではあまり姿を拝見しない方も含まれていた。この場をお借りしてお礼を述べたいと思う。

 AFLAS北京大会は盛況の内に終了を迎えた。大会期間中には交流を続けている中国東北部の遼寧省実験動物学会の方々を始め、昨年の大連で行われた“北方八省科技年会”でお会いした皆さんとも再会できた。広い会場の中で此方が見つけるまでもなく、先方から我々を見つけてくれて、向こうから近づいてきてくれて再会を喜んでくれた。異国の地に自分の事を覚えてくれている友がいるのは嬉しいものである。

 最後に、今回のAFLAS北京大会において、日本の実験動物技術者の事を紹介するプレゼンをさせて頂く機会を与えてくださった大会長である秦川先生に改めてお礼を述べると同時に、本来のエントリーのスタイルとは異なる演題申込の形になったにも関らず、発表する事を許容してくださり、種々のご支援を賜った笠井先生、芹川先生、黒澤先生を初めとする、AFLASならびに日本実験動物学会の諸先生方に心よりお礼を述べて報告を終えたい。