大阪大学純系動物事業場の歴史と実技協との関わり


          大阪大学医学部 附属動物実験施設
                石川 俊憲
 
「はじめに」
 私が大阪大学純系動物事業場で勤務した38年間に事業場は、豊中、中之島、そして現在の吹田キャンパスへ移転した。この間には、必要とされる実験動物の質、飼育条件、飼育管理の方法なども大きく変化した。
 
「大阪大学純系動物事業場について」
 @豊中地区に大阪大学純系動物事業場が設立された。大学の研究を支えることを目的とし純系動物事業場は昭和30年以降全国の9大学に設立された。当時は遺伝学的・微生物学的に統御された動物の入手が困難な時代であった。大阪大学では、学内の研究に使用するため(マウス・ラット・ウサギ)の純系動物の生産を行い、今日のように多くのブリーダーで良質な実験動物を生産供給できるまでの一時期を担った。A大阪中之島地区に移転。中之島地区に移転前は、実験動物の繁殖・供給がおもな業務であったが、吹田地区への移転が予定されていた。そのため、大規模な動物実験施設で最先端の動物管理を行うことを目標とし、SPF動物、免疫不全動物、疾患モデル動物のための最新鋭機材使用方法等を習得するために努力した。B吹田地区に移転。移転後は動物実験施設内に純系動物事業場を設置し、日進月歩の医学に対応出来る知識と技術を駆使した動物管理・動物供給を行い、現在では実験動物のSPF化も行っている。
 
「実験動物技術者協会関西支部について」
 昭和40年当時は、現場技術者にとっては、系統だてた技術と知識の習得の場がなく、技術者同士の情報交換も乏しかった。これらのことを憂慮した有志により、実験動物技術者協会の前身である実験動物懇談会の設立の動きとなった。その後、関西地区の者が集まり、懇談会関西支部を設立した。さらにそれを母体に私が相談役となり実験動物技術者協会関西支部が設立された。