死物学の世界を探る - 身近なほ乳動物の検屍から -
滋賀医科大学 法医学講座
山本 好男
架空の話:宮崎監督には失礼な話ですが「大トトロ」の死体を狭山丘陵で発見しました。先輩のK獣医と私(二人はともに死物学専攻)はその死骸を確保しました。早速、綿密な観察をおこない、骨格標本と毛皮標本を作成しました。狭山丘陵にはタヌキやフクロウ、ミミズクが多数棲息していますが、観察の結果、「大トトロ」はこれらとは異なる動物種でした。死物学的データから、この「大トトロ」は、脊椎動物(脊柱あり)、ほ乳類(全身被毛)、有胎盤動物(へその存在)、年齢10106歳(歯の咬耗から)、雄性(生殖器・副生殖器から)、食性はドングリなど木の実(歯、胃腸内容から)であることなどが判明、さらに、死因は空中で何らかの鈍体に衝突、落下し、失血死したもので、死亡時刻は直腸温度や眼房水中の無機物の量から発見の15時間30分前であることが判明しました。
博物学が盛んなりし頃、生物学の中心は分類学や形態学でした(死物学)。しかし、その後の分子生物学などの発展に伴って影が薄くなり、「死んだ物のことを研究するから死物学だ」と揶揄する人も現れ、まさしく死語の範疇にはいってきました。「死物」とは、すべて生物が行きつく姿−つまり死体のことで、その標本を研究する「死物学」から、生物の観察や生態調査からだけでは決して分からない生命の神秘が見せつけられます。生と死がそうであるように、生物学と死物学も表裏一体、背中合わせの関係であることに違いありません。
さて、その死物学ですが、標本作成目的にのみ動物を殺生するのは残酷なので、モグラ、イタチ、ネズミ、野ウサギ、タヌキとかいった動物が交通事故などに遭って死んだ死体・死骸を確保し、標本のコレクションに加える。そして、観察したり、スケッチしたり、大きさを計測したり、解剖したり、骨格標本や毛皮標本をつくる。「標本」には、そのひとつひとつに標本番号、計測データ、採集時の状況などを添付しておきます。この死せる「標本」をもとにして、動物の身体の細部の仕組みが、綿密に明らかにされていきます。こういうことをたくさんやっていると色々なことが見えてくるようになり、毛皮模様の意味や骨格や歯の生え方から姿勢や食性、動物の骨から生きていたときの姿形を推定することなどが可能になってきます。
そのためには、普段から、生き物について詳しく観察しておかなければならないことは言うまでもありません。